父と癌 

がんになった父の闘病生活の記録です

14.長い1日

父が手術室に入り、しばらくは手術室を見つめることしかできなかったが、手術室の前にずっといるわけにも行かず

1階に用意していただいている個室(畳の部屋)を一部屋借りる事ができた。

 

そこを拠点?に長い1日が始まりました。

父を見送ったのは朝。

まず第一の関門としては麻酔後の開腹直後。

手術できずに閉じる可能性もあるということ。

この時点で父の3年後の生存率は10%

5年先に父の姿はなくなっていることになる。

時計を何度見つめたかわかりません。

近くにスーパーがあったのですが、いつ連絡がくるかわからない状態ででかけることもできず病院内に缶詰状態。

まだ幼かった子ども二人は飽きていただろうがぐずることなく院内でおとなしく過ごしてくれました。

12時・・・お昼を過ぎた頃、母と顔を見合わせ”もう大丈夫やんな?”と確認し一息つきました。

開腹後すぐに閉じることはなかったようです。

先生たちが父の癌を取り除きだしてくれているのだということ。

あとは祈ることしかできませんでした。

神様とは仏様とか、そんなの今まで思ったことなんてなかったけれど、どうしていいのかわからない状態が続くのは本当に怖い時間でした。

夜になっても手術が終わったかどうかの連絡は来ません。

父は果たして生きているのだろうか・・・それすらわかりません。

21時・・・22時・・・こんなに長丁場になるとは思っていなかったので、子どもたちの布団すらありません。

なんとか車にのせてあった毛布(ひざ掛け程度の大きさ)で寒さをしのぎます。

うとうとと眠りかけては寝れず、用意してもらっていた和室には固定電話がおいてあって、内線がかかってくるようになっていました。

いつかかってくるかもわからず、母と二人で電話番。

朝5時くらい、母がトイレに行ったタイミングで電話がなりました。

いきよいよく電話にでると愛想もなにもない声で

”まだまだかかるんで寝てていいですよ。あ。腫瘍みます??”

はい??最初は何のことかわかりませんでした。

腫瘍をみる?まだ寝てていい?

とりあえず、子どもが寝ている状況で私は動くことができない。母はトイレに行っている。

でもすぐ戻ってくるだろう!

”みます”

その一言だけいうと、

”手術室前まできてください”

それだけいうと電話を切ろうとしていた先生だったので、

慌てて”あの!!父は大丈夫なんでしょうか?!”

振り絞った声はきちんと言葉になっていたかわかりません。笑

”大丈夫ですよ”

電話越しに先生の声が聞こえてきました。

電話を切ってすぐ母が戻ってきました。

”父ちゃん生きとるて!腫瘍見せてくれるていうてる!はよ!早く手術室行って!”

私はわけも分からず母に伝えました。

母もいきなりのことだったので

え?え?と言いながら走って行きました。

摘出した腫瘍とその周りの臓器。

30センチほどの肉の塊を母は見せてもらったようです。

父の手術は見事に成功。

世界でその手術を経験した方は数えるほどしかいないと言われている手術だそうです。

そしてその手術をして、生きている方はほぼ、ほぼ居ないんだそうです。