父と癌 

がんになった父の闘病生活の記録です

23.身体障害者手帳3級 障害年金2級

父は記憶がありませんが、この時母は市役所へ。 父の写真を持って障害者の申請に行きました。 役所というのはお硬い場所でして。 (役所の方に罪はありません!気分を悪くされたらごめんなさい!!) 意識のない父。一歩も外に出られない父の写真をどうやっ…

22.前例のない戦い

母の不安は日に日にましたのでしょう。 知り合った看護師さんにどうなるのか、どうしたらいいのか。 ずっと聞いて回っていたそうです。 そのときに言われたのは 骨盤内全摘出の手術をされたのは、3名 仙骨合併は数年に1人 骨をとってしまっている人も本当…

21.術後の恐怖

年明け早々、母は1人では抱えきれないほどのことがおきます。 手を取り足並みを揃え歩いてきて父はずっと止まったまま。 母は1人での決断を迫られます。 腸がつながっていない。廃液が全身に入り、菌血症を起こしているとのこと。 便などの本来なら体の外に…

20.完全に止まってしまった父

術後、歩行は不可能と言われていたにも関わらず、歩行ができるようになった父。 足についていたうっ血防止の機械は卒業。 栄養状態のバランスの管理は点滴がしてくれている。 高血糖になるのでインスリンの処置は追加となる。 12月後半から2月くらいまでの父…

19.父の発熱

病室を移動し、同室の友人の方にも仲良くしていただけ、看護師さんが友人の娘様にうちの父と仲良くしている。という話をいてくれていたようで、娘さんがお見舞いに来た際には、父に挨拶をしてくれたそうです。 ”頑固者で人付き合いが下手で偏屈者の父ですが…

18.父の友人・父の戦友

なんだかんだで部屋を移ることとなった父。 その病室で新しい出会いがありました。 ”どうして移動になった??” そう聞いてくれたのは見るからに身体のごっついオッサン。 父は笑いながら ”やかましいやつおって文句言うたら俺が追い出されたわー” なんてい…

17.新しい出会いに向けて?

父が、まともな人間なのか?と聞かれたら、私はわかりません。 だってその父が当たり前で育ったからです。 他の方から見たら、父や私の考えや行動がもしかしたら”変”なのかもしれません。 なので一般常識・・・という言葉に当てはめるつもりはありませんが、…

16.頑張れという言葉

歩けるようになった父は嬉しそうに毎日毎日歩行器を借りて、7階をくるくる回ります。 今まで気にもとめなかった景色がすべて鮮やかに見えたそうです。 毎日毎日、点滴棒を引っ張り、管だらけの患者が母と看護師さんに支えられ病室前をうろうろしているわけ…

15.歩くこと

手術後、父は3日で一般病棟へ。 7階だったのだが、ICUから見ると7階が我が家のように感じていた父は、見送ってくれた看護師さんたちと再開を果たす。 おかえり。お疲れ様。ってみんなが声をかけてくれた。 無料の個室を借りることができたので母も泊まり…

14.長い1日

父が手術室に入り、しばらくは手術室を見つめることしかできなかったが、手術室の前にずっといるわけにも行かず 1階に用意していただいている個室(畳の部屋)を一部屋借りる事ができた。 そこを拠点?に長い1日が始まりました。 父を見送ったのは朝。 ま…

13.手術と兄と私と母と

2010年11月10日 この日のことは私自身もよく覚えています。 初めて父の癌と向き合ったのもこの日からかもしれません。 それまではなんとなーく母から父の病状を聞く。程度でした。 2008年、2009年と娘を授かり、子育てもあったせいか、父の病気と向き合うこ…

12.手術の同意と死の覚悟

ついに小さくなった腫瘍。 10%から20%に生存率を上げるため父は手術に挑みます。 2日前に入院。いろいろと準備があるようです。 周りにいるのは胃・膵臓・肝臓・胆嚢・大腸と消化器内科外科関係の患者様ばかりで勇気づけられたようです。 入院前にはパーキ…

11.手術に向けた抗癌剤治療の開始

同年、3月より抗癌剤治療の開始。 手術に向けての治療が開始となる。 この抗癌剤治療で癌が小さくならなれけば、手術をしてもらうことすらできません。 毎日毎日、”小さくなれ、小さくなれ”と願いながらの治療となる。 まずはじめに使用したのはゼローダと…

10.5年生存率0%

”もし手術が成功しても3年の生存率は10%” ”このまま余生をすごしてはどうですか?” 意味のわからない医者の言葉に空いた口が塞がらなかったと母は言います。 目の前が真っ暗になり、5年後長年連れ添ってきたこの人・・・おらんくなるの?? ”死”が目の…

9.愛知県がんセンター

父の闘病生活のスタートはもしかしたらここからかもしれません。 父の再発。 がんの恐怖。 父が癌になって三年経って初めて私はがんについて調べました。 ”医者がついているから大丈夫” ”手術=完治” そう思っていていた私は初めてがんという恐怖が目の前に父…

8.再発

2008年、2009年何事もなく過ぎた頃、ついにリザーバーを外すことに決定。 CT検査後、結果を聞いて帰宅する。 その予定でした。 朝一番の予約。いつもならすぐに呼ばれるのに今日はずっと待ちぼうけ。 結局一番最後となり、診察室に呼ばれた。 ”今からMRIをと…

7.抗がん剤

無事退院した父は、小さな悩みができました。 肛門近くの筋肉が弱まり、排便を我慢することができなくなってしまいました。 初めてのおむつにパット・・・最初は抵抗があったのではないか。と今では感じます。 2008年1月8日 抗癌剤治療を開始するため、中心…

6.父のリハビリ、父の退院

術後、ICUから一般病棟へ。 そして父のリハビリが始まりました。 自分が頑張れば頑張るほど早く帰れるのだと必死にリハビリを行いました。 歩くことが内蔵を動かし少しでも早く内臓が元の場所に戻り、腸の動きも良くなるらしい。 一日でも早くご飯が食べたく…

5.初めての手術

”手術をすれば治る” 父も母も、私も家族全員が思っていました。 この手術さえ終わればすべてが元通り。 これで終わりなのだと・・・そう思っていました。 手術前は眠れない方などもいらっしゃるそうで、看護師さんたちが気を使って睡眠薬なども用意してくれ…

4.悪性の腫瘍

内科の主治医の先生より、直腸部分の腫瘍は”悪性”との説明を受ける。 詳しい検査をしてから手術になるため、CT・MRI撮影。 主治医より説明を受ける。 超巨大化した腫瘍の塊があり、直腸を切除すればがん細胞はとれるが、開腹した状態で人工肛門または切除不…

3.夜間診療所へ、そして総合病院へ

父の身体の異変は父自身は随分前から症状があったようですが、家族にも隠しきれないほどの痛みについに父は夜間診療所へと行きました。 2007年11月24日 高熱、そして腹部が腫れ上がり眠ることすらできず、やっと医者に見てもらう決心をしました。 腸閉塞の可…

2.腹痛

平成19年、夏頃 家族ででかけた旅行で私は初めて父の異変に気が付きました。 それまでにも何度もあったのは知っていましたが目の当たりにし、記憶にあるのはこのときでしょうか。 祭り事が大好きな父が ”俺、ちょっとやめとくわ” そういったからです。 お腹…

1.頑丈な父

私のお父さんは絵に描いたような健康な父でした。大きな病気もなく、食事制限もなく記憶がある頃からどの父を思い出しても”元気”それ以外ありませんでした。 言い出したら聞かない父で、サラリーマンだった父は急に脱サラし土木関係の自営を始めるなどいつも…

父の闘病生活について

数年前に大腸がんになった父の記録、経過をブログにして報告させていただきます。 同じようにがんと戦う患者様・そしてその家族の赤裸々な気持ち・感情を書いていきます。 ※気分を害される方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。 閲覧後の苦情等は一…